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2021/02/22

視界は澄み切っているか?:「空気」を超えていけ!

 

『旧約聖書』「伝道の書」は言う。「空の空、すべては空」と。

何をやっても空しいのだ。


地上の多くの知恵と知識を得て、心を尽くして知恵を知り、

狂気と愚痴を知ろうとした。

しかしそれも風を捕えるようなものと悟ったとも言う。

 

「空気」に振り回され、「空気が読めない」と批判を繰り返す社会があるけれど、

その「空気」を作り出すのは人間たちだ。  

 

互いに妬みあい、憎しみあうドロドロした気持ちが、「空気」を生み出し、勢いづける。

 

それにSNSが絡まると「空気」は巨大な雲に発達し、停滞し、とめどない石礫さえ降る。

 

★★

 

かつて、大学の講義で空気を読まずに聖典を読めと言ったことがあった。

「空気」から自由なのが聖典であるし、

澄み渡った「空」に直接つながっているのが聖典のつもりだった。

シンプルにそういうものだと信じていた。

 

たしかにそれは、「空気」が吹き込まれている人の言葉ではない。

 

しかし、読むのは「空気」の空しさが分からない人間だった。

「ワイルン」を願望や祈りだと読むのは人間の側だ。

 

だから、「空気」に流されることのなく世界の変化と創造を見据え、

「聖典」を手掛かりにそして、その檻の中にとらわれることなく、森羅万象を読む。

 

つまり、読むべき本は2つ。

啓示によって下された創造主の言葉によるアーヤ(徴し)と、

この瞬間も創造主の存在を示してくれる、五感に感じることのできるアーヤ。

 

ただ、心にとめておいてほしい。青空からは雨が降らないことを。

雨が降らなければ、命は生まれないし、保たれない。

雲や風に一喜一憂するのに理由もあるのだ。

だからなおさら、その向こう側の存在を忘れない。

 

それを宗教者は「聖なるもの」と言い、

それを恐れることが「知恵」のもとであり、それを知ることが「悟り」であると。

 

★★★

 

また「伝道の書」は言う。「人の語るすべての事を心にとめてはならない」と(7:21)。

 

それは、「他人からの呪いを聞かないため」。

 

自分の胸に手を当ててみれば、心が、「しばしば他人をのろった」のを知っている。

自分以外の人がそうでない保証はどこにもない。

 

だから、他人の言葉をすべて心にとめれば、その呪いが刺し込まれることになる。

 

しかもそれは空気の産物であるだけにたちが悪い。

空気はとめどなく膨張する。心は間違いなく破裂する。

 

結局、誰かを呪えば、それが、自分に返ってくるのだ。

 

こう考えていくと、人の言葉のいちいちを心にとめれば、

自分の呪いに呪われることが分かる。

 

何かと空気にざわつき、振り回されがちな心への戒めがそこにはある。

 

★★★★

 

とはいえ、「空しさ」は止まらない。

どんなによく生きたとしても、どんなにひどく生きたとしても、

死んでしまえば同じだからだ。

 

この事態をいかに乗り切るのか。

 

イスラームは、最後の審判を明確に置くことによって、これを乗り越えようとした。

 

ムハンマドの言行によれば、

中傷も、罵りも、妬みも何も、恨みのもとになりそうなものは端から禁止されている。

 

それでも、それらから離れられないのが人間である。

 

そのことも熟知の上で、あるいはムハンマド自身がそれを認めた上で、

誤りや過不足は、すべて最後の審判に預ける。

 

呪うことを止めることができないなら、どこかでそれをフォローする必要が出てくる。

最後の審判に、その役割が委ねられた格好だ。

 

だから、それを嘘だということは許されない。

最後の砦の破壊だからだ。

 

自分が報復しなくても、アッラーが必ず報復してくれる。

中傷者は、地獄に落とされるのだから、自分がそのことに気をもむ必要はない。

 

それにもかかわらず、怒りも争いも一向に収まらない。

「あざける者を責めるな、おそらく彼はあなたを憎むであろう」(箴言9:8)

 

あざける者を責めても、彼からは憎しみしか出てこない。

そして、「憎しみは、争いを起す」(箴言10:12)

 

「ワイルン」(聖典クルアーン「中傷者章」ほか)が

憎しみの、そして争いの火種になっていなければよいのだが。。

 

★★★★★

 

詩人がやってきた。天国も地獄もない世界を想像してみてって言う。

あるのは、みんなの上の同じ空だけ。みんなが「今」を生きている。

 

国家も宗教もない世界を想像してみろとも言う。

そのために死ぬことも戦うことも殺しあうこともない。みんなが平和に暮らしている。

 

詩人は続けた。

夢みたいなことだと思うかもしれないけど、おれ一人の考えじゃないんだ。

君もいつか仲間に加わってよ。そうすれば世界は一つになる。

 

そこには、おれのものって考えもないんだって。

だから、欲張りもいないし、飢える人もいない。

 

しかも、みんなが同じ言葉でわかりあっている。

 

夢みたいなことだと思うかもしれないけど、おれ一人の考えじゃないんだ。

 

君もいつか仲間に加わってよ。そうすれば世界は一つになるって、詩人は繰り返した。

 

★★★★★★

 

天国、地獄という檻、国家や宗教という檻の中で、

ひたすらに自分の持ち金を数えて、自分だけは永遠に生き続けられるなんて、妄想だ。

 

「利息と高利によってその富を増す者は、

貧しい者を恵む者のために、それを蓄える」(箴言 28:8)だけでなく、

たくさん稼いで実際に困っている人たちに恵んで、みんなで分かち合う。

 

「中傷者章」が想定していない事態。

 

あの世にまでもっていくわけではない。あの世の分をこの世で回す。

 

こちらの方がよほど長持ちする。

究極の外部(幽玄界)を得て人も富も生かされるというものだ。

 

欲を捨て、執着を捨てて、自分に与えられた自分の分を生きられることを楽しみとする。

詩人は、コヘレトからも菩提樹の悟りの主からもヒントを得たようだ。

 

★★★★★★★

 

経済学者[i]がやって来た。マルクスを読み直せと。

人間たちの活動の痕跡が地球の表面上を覆いつくした時代

「人新生(ひとしんせい:anthropocene)」

 

生産手段だけでなく地球を「コモンズ」として労働者が管理せよと。

 

宗教がかつてのアヘンならSDGsが「人新生」のアヘン

地球と人々の暮らしを「脱成長のコミュニズム」で救おうと。

 

詩人と経済学者の間に、『旧約聖書』が見え隠れする。

 

タルムード(モーセ5書をベースにしたユダヤ人の生活規範)を超え、

シャリーア(クルアーンをベースにしたムスリムの社会規範)も超え、

その先の展開を考えよう。

 

物質主義は、地球が壊れるというけれど、人間が壊れ始めている。

 

優れていると自任する一握りが支配する形ではなく、

一人ひとりがこの地上で自分の人生を生きていける道を探そう。

 

★★★★★★★★

 

 

いずれにしても、人の言うことをいちいち気にする必要はない。

空気に押しつぶされそうになったのなら、せめて空の青さを見つけよう。

マインドフルネスの手法の一つでもある。

その青さは、創造主のキャンバスの色。

きっと自分の色がよく映える。



[i] 斎藤幸平『人新生の「資本論」』集英社新書1035A2020922日。

2021/02/17

「その人々は滅ぼされてしまえ」という言葉は使用禁止(正伝ムスリム)のロジック

 

誰かに向かって、

「滅ぼされてしまえ」なんて言ってはいけない。

 

 

地獄行きを宣告するようなこと誰だって言われたくない。

 

それだけに、聖典クルアーンの「中傷者章」の最初の言葉、「ワイルン ويل (災いあれ)」に対して、「棕櫚章」「タッバットゥヤダーアビーラハビン  تبت يدا أبي رهب (アブー・ラハブの両手など滅んでしまえ)」と同様のあるいはそれ以上の違和感を覚えてしまう。

 

いずれも他人を呪う言葉だからである。

 

 

「人を呪わば穴二つ」ではなかったのか。

 

なぜそんな言葉を、しかも願望文と呼ばれる形式で読ませるのか。ムハンマド(彼の上に祈りと平安あれ)にだけならともかくも、クルアーンは誰もが読める、アッラーの御言葉でもある。

 

 

そのアッラーの最後の御使いであるムハンマドは、タイトルに示したように「「その人々は滅ぼされてしまえ」などと言ってはいけない」という言葉も残してくれている。

 

 

その言葉が引き起こす、相手方の破壊行為が、よりひどく、苛しいことになるからである。

 

 

言葉による呪いの言葉の危険は、結局は、より甚大な形で実際的な危害として発言者自身に返っていく。

呪いの言葉を口にすることの危険性は、イスラームに限らず、さまざまに指摘されてもいる。

 

 

それにもかかわらず、「ワイルン」や「タッバ」は啓示として下され、願望文・祈祷文として解され、それを暗記することが奨励され、暗記した子供は褒められる。

 

 

暗記するべきが汚い言葉だなどいうのは違和感である。

「滅ぼされてしまえ」などと言ってはいけないならなおさらであろう。

 

 

それならば、礼拝をおこなうために、意味もわからず、あるいは知らされないまま暗記した方がよいのであろうか。

意味を問わずに聖典を暗記することでメッセージを受け取ったことになるのであろうか。

 

 

皆様のご意見をお聴かせください。



 

ところで、 この根拠になっているムハンマド(彼の上にアッラーの祈りと平安あれ)の言葉は、ほんの一言でもあるので、その言葉を訳してみよう。

 

 إِذَا قَالَ الرَّجُلُ: هَلَكَ النَّاسُ فَهُوَ أَهْلَكُهُمْ

 

 إِذَا もしも

 قَالَ  言った

 الرَّجُلُ  その男が

: (そのあとに発言の内容を示す時に使われるコロン)

هَلَكَ 滅んでしまえ

النَّاسُ その人々は

 فَهُوَ すると、それは

ここまでのところは、頭から訳していけばいい


「もしも、その男が「その人々は滅んでしまえ」と言ったならば、それは、アハラクフムである」ってことなのである。

 

 

では、「アハラクフム」とは?

أَهْلَكُهُمْ   それは、彼らという人称代名詞とアハラクという言葉が合わさったもの    

أَهْلَكُ + هُمْ

アハラク + フム

 

アラビヤ語を少し勉強したことのある人ならば、أهلك が動詞の完了形ではないことはわかるはず。

 

 したがって、この言葉の訳は「(みじめに)滅びた」のように完了形的にはならない。

完了形動詞に、彼(هو)という人称代名詞の直後に置かれるのは極めて例外的であることからもわかる。そもそもこの هو は、人ではなく、彼の言った言葉を指すと考えられる。つまり、「それは」「それが」の意味。

 

 

動詞ではないのだとすれば?


أَفْعَلُ は何の形でしたでしょうか?

 

最上級、比較級を示す形でした。

 

 

これはアハラカという4形動詞、「破滅させる、破壊する」から派生している最上級あるいは比較級の意味を持つ名詞、あるいは形容詞であると考えられる。


 


「最も、あるいは、よりひどく破壊すること」

 

それに、「彼ら」が付けられているので、この場合は、


「最も、あるいは、よりひどく彼らが破壊すること」



أهلك という見出し語では辞書には見つけられないかもしれないけれど、

 

 彼らが行なう破壊行為は、自分の言葉以上に、あるいは、それとは比べ物がないくらいひどいことになるという意味を有していることになる。

 


以上を仮にまとめておくと、


「もしも、男が「その人々は滅んでしまえ」と言ったならば、それは(あなたが口にした以上の)彼らのひどい破壊行為になる」

 

その結果として、彼自身が(みじめに)滅びたということが生じるかもしれないが、ムハンマドさんは、もっとひどい破壊を被ることになるとは言ってはいても、破壊されたとまでは言っていない。

 

 

ちょっと踏み込んだ話になるが、

そのときのムハンマドさんの話を聞いていたアブー・フライラは、アハラカと言ったのかアハラクと言ったのかわからなかったとしているので、もう一つの可能性「アハラカ」についても見ておこう。

 

その場合には、アハラカは動詞で、4形本来の使役の意味が強く、「彼らを破壊する」ではなく「彼らに破壊させる」と解することができ、


「彼らを破壊者にしてしまう」ということになる。

 

イブン・ハッジャージの解説によれば、語尾をダンマ(「ウ」)で読むのか、ファトハ(「ア」)で読むのかは、前者、つまり「アハラク」と読むのが注釈学者の一致した見解。

 

なお、アハラカを「ウフリク」と読むとムハンマドさんが、破壊行為を行うということになるけれど、「滅ぼされてしまえ」と言うなと命じている本人が、破壊行為に及ぶというのは考えにくい。

 そこには、ムハンマドさんが、「われが彼らを滅ぼすであろう」というような仕返しのニュアンスはなじまない。

もしもそういう日本語の解説に出会ったら、どうぞお気を付けを。



アラビヤ語原文とその解説は以下の通り

 (2623) حَدَّثَنَا عَبْدُ اللهِ بْنُ مَسْلَمَةَ بْنِ قَعْنَبٍ، حَدَّثَنَا حَمَّادُ بْنُ سَلَمَةَ، عَنْ سُهَيْلِ بْنِ أَبِي صَالِحٍ، عَنْ أَبِيهِ، عَنْ أَبِي هُرَيْرَةَ، قَالَ: قَالَ رَسُولُ اللهِ صَلَّى اللهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ: ح وَحَدَّثَنَا يَحْيَى بْنُ يَحْيَى، قَالَ: قَرَأْتُ عَلَى مَالِكٍ، عَنْ سُهَيْلِ بْنِ أَبِي صَالِحٍ، عَنْ أَبِيهِ، عَنْ أَبِي هُرَيْرَةَ أَنَّ رَسُولَ اللهِ صَلَّى اللهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ، قَالَ: " §إِذَا قَالَ الرَّجُلُ: هَلَكَ النَّاسُ فَهُوَ أَهْلَكُهُمْ " قَالَ أَبُو إِسْحَاقَ: لَا أَدْرِي، أَهْلَكَهُمْ بِالنَّصْبِ، أَوْ أَهْلَكُهُمْ بِالرَّفْعِ.

 

S [ ش (فهو أهلكهم) روى أهلكهم على وجهين مشهورين رفع الكاف وفتحها والرفع أشهر قال الحميدي في الجمع بين الصحيحين الرفع أشهر ومعناه أشدهم هلاكا وأما رواية الفتح فمعناها هو جعلهم هالكين لا أنهم هلكوا في الحقيقة واتفق العلماء على أن هذا الذم إنما هو فيمن قاله على سبيل الإزراء على الناس واحتقارهم وتفضيل نفسه عليهم وتقبيح أحوالهم قالوا فأما من قال ذلك تحزنا لما يرى في نفسه وفي الناس من النقص في أمر الدين فلا بأس عليه وقال الخطابي معناه لا يزال الرجل يعيب الناس ويذكر مساويهم ويقول فسد الناس وهلكوا ونحو ذلك فإذا فعل ذلك فهو أهلكهم أي أسوأ حالا منهم بما يلحقه من الإثم في عيبهم والوقيعة فيهم وربما أداه ذلك إلى العجب بنفسه ورؤيته أنه خير منهم]


فهرس الكتاب 45 - كتاب البر والصلة والآداب 41 - باب النهي عن قول هلك الناس 

 

■日本語の参考文献

 『日訳サヒーフ・ムスリム』第3巻、日本ムスリム協会、2001年、特に557頁以下

 W. Wright『アラビヤ語文典』(上・下)後藤三男訳、後藤書房、1987年。

 

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