2021/08/18

「タリバーン」という朝日新聞の呼称に違和感:質問を送ってみた。

 

「タリバーン」という呼称について

 

  イスラーム法とクルアーン、アラビヤ語の研究者です。

 アフガニスタンの政権崩壊の報道で御社は、「タリバーン」の呼称を用いていますが、「タリバン」でも「ターリバーン」でもなく「タリバーン」とされている理由を教えて下さい。

  ちなみに、アラビヤ語では、「ターリバーン」とするのが言語にいちばん近いですし、アラビヤ文字を用いるパシュトー語の表記を見ても「ターリバーン」と読めます。

ご教示のほどよろしくお願いいたします。

  なお、余談ですが、イスラーム法的に言えば、ターリバーンの極端な形で土着化したイスラーム法解釈にイジュティハードにより対案を示せれば、イスラームの民主的な側面を引き出し、権威主義と民主主義ををハイパーに統合するイスラーム的な政体の樹立が可能なはずです。

 

 アメリカの成功体験である戦後の天皇制から日本的民主主義への誘導は、神の性質がまったく異なるため、イラク同様、ここでも不可能です。

 

 また、政教分離と政教の緊張関係が前提になっているキリスト教的な秩序観にはイスラーム法を的確に位置付けることができず、したがって、神は人権を与えるだけでなく、守ることまで行うという発想が出てこないため、どうしても軍事力の継続的行使に頼ることになるのだと思います。

 

 曲がりなりにも、法で動いている人々です。たとえば、ジハードの現代的な意味一つ学んでもらうだけでも、もっと平和的に事態を収拾できるのがイスラーム法であるはずと、研究者の立場からは考えます。

 

 カールシュミットが言うように政治に固有なる区分が「敵、味方」であるなら、そのこと自体を問い直さない限り、この問題は解決しないように思います。

 

 「自分たちの意に沿わない人に対し、惨い仕打ち」(「天声人語」2021年8月17日)を行なってきたのは、つい昨日までの自分たちの姿ではなかいでしょうか。

 

 国際社会に期待しても何も出てこないのが残念ながら現状であり、新たな敵・味方の分断ができるだけ。国際社会に対して「敵・味方」ではなく、まずは自分自身が変わることによって国を変え、互いに協力し合い、豊かな多様性の世界を築いていくことには、多くの賛同が得られるのではないでしょうか。ただ、それを教えているのが、聖典クルアーンであることを、多くのイスラーム教徒が知らないというのも現状です。

  軍事力によってしか守られない民主主義と、軍事力によってしか守られない専制主義という二律背反を超える考え方をターリバーンにも理解してもらえる形で探究したい(と考えています)。

 

( )は、字数制限の関係で割愛

 

回答が届いたら、お知らせいたします。

 

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