11/01/2021

『反逆者』、宇宙をも貫く孤高の個としての「私」:丹下京子先生(ベンガル文学者)への感謝を込めて

■『反逆者』との出会い

 バングラディシュの国民的詩人、カジ・ノズルル・イスラムとの出会いをもたらしてくれたのは、かつての職場にほど近くにあって週に何度も通ったインド料理店の店主バングラディシュ人のラフマ―ン氏であった。ヒジュラ暦1441年のラマダーン月のイフタールに連日誘っていただいた。イフタールが済むと、イスラームやムスリムの社会や文化などについて様々な話をし、またいろいろと教えていただいた。

 その後、不幸にもお店に連日通うことはできなくなってしまったが、ラフマ―ン氏とはワンネス(一なること)について様々な構想をめぐらすことになり、その中で、人間観や宗教観についての私の話を聴いて思い出したのが、カジ・ノズルル・イスラムの『反逆者』であったというのだ。アイディアに通じるところがあるので、読んでみてはと勧められた。(『反逆者』については、ラフマ―ン氏に教わりながらのエッセイを、アッサラーム・アクションに連載を開始している

 

■一神教5.0

 ところで、私には、一神教5.0という温めている構想がある。

 1.0がユダヤ教、2.0が、キリスト教、そして、3.0がイスラーム。ここまでは既存の一神教の神学的な展開で説明ができる。

 一神教4.0は、いわゆる多神教を包摂する形の一神教。「信じる人々全体」を結んでいるはずの教えのレベルである。そこでは、〇〇教の神という考えは、乗り越えられる。

 そして、信じるということをしない物質主義者的な人々も含めて共有できる教えが一神教5.0である。そのレベルにおいて、展開されるものが「教え」と呼ぶにふさわしいのか、「神」という言葉を用いるのが適切なのかどうかも検討しなければならないが、人間たちにとって、いや少なくとも「私」にとっては、一神教3.0では、閉塞的な状況を助長することはあっても打開してくれるようには思えない。 

 

 ■『反逆者』の中の私

 さて、ノズルルイスラムの『反逆者』の中の「私」は、

 

の, 

し,

う!

グ,

す!

く!

丹下京子『」:』「第5号」(1993年)、44頁

 

る,勇る―り,宇え,頭た!


 丹下は、この「私」を、「即」,つた」ものと説明している。

 その「異次元の私」について丹下は、「,,宇え,頭は,全に,全に,唯る.」としている。

 

■神を凌駕する「私」

 また、この普遍的な私の背景にあるベンガル文学における「私」の位置づけに関する説明も参考になる。

 丹下によれば、近代以前のベンガル文学の主流は、ボイシュノブ(ヴァイシャナヴァ)と呼ばれる、西洋的な概念では抒情詩に当たるジャンルであり、サンスクリット文学のジャヤデーヴァをその源に持つその抒情詩群が、ラーダーとクリシュナの恋物語をうたい、数百年にわたって維持してきた安定的な「あなた」(=神)と「私」(自己)の世界を維持してきたという。

は,ボブ(ヴァ),つの―西な―る.もが,近る.そは,サち,繰い,そ」(=神)と」(=自己)のる.」(丹下京子『」:』「第5号」(1993年)、48頁)

 

 「は,多た.そ綿た.そ言―え―る.」丹下京子『」:』「第5号」(1993年)、50頁

  「そ」,どが,ノお,際る.」

丹下京子『」:』「第5号」(1993年)、48頁

 

■ワンネスの世界育てるバングラディシュ

 クルアーンに照らしてみれば、反逆者としての「私」は、まさにアッラーに成り代わったような「私」であるが、アッラーを人間の言葉の檻の中に閉じ込めて、あるいは、アッラーという権威の屋根の下に人間を閉じ込めているような状況下においては「反逆者たれ」である。永遠の反逆者は、凌駕された「あなた」が、再び、永遠の反逆者にふさわしい「あなた」になるのを待っているのかもしれない。

 「一神教5.0」では、普遍性、永遠性、「私」、「あなた」 などの諸概念に徹底的に反逆して、あたらな創造を行なうことが当面の課題になる。人が決定的に一人なのだとすれば、そして、人が一人で生き切れるほど強くないのだとすれば、それを受け止めてくれる、一人ひとりにとっての「あなた」なり「居場所」なりは構想しなければならない。一人や一つということがどこまでも貫かれるワンネスの世界とでも言えようか。その場所として、あるいはその担い手として、ノズルルイスラームの『反逆者』に今なお心震わせるラフマ―ン氏のような人物を生み出す、ムスリムでありながらもベンガル語による豊かな詩の世界を愛するバングラディシュの人々はきっととてもふさわしいのだと思える。

 

 なお、すでに1993年の段階でこのように現代においても示唆に富む論考を発表されていた丹下京子先生にこの場を借りて感謝申し上げます。大変参考に、そして勉強になりました。ありがとうございました。

 先生の『ノズルル詩集(花社)が入手できないで困っております。入手方法などについてご存知の方、assalamaction@gmail.com アッサラーム・アクションまでご一報いただけたら幸いです。)


参考文献

 丹下京子『」:』「第5号」(1993年) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas1989/1993/5/1993_5_39/_pdf

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